Artist Interview 第3回 荻久保和明氏
早稲田大学グリークラブ100周年特設サイト
- トップページ
- > Artist Interview 第3回
![]()
◆男声合唱との出会い
宍戸もともと高校時代に男声合唱をやられていたそうですが、合唱の形態として一番好きなのは男声合唱ですか?
荻久保僕はやっぱり男声合唱が好きだね。
宍戸高校時代に男声合唱をやろうと思ったのはなにかきっかけがあったんですか?
荻久保ううん、それはもう偶然。川越高校に入って、そこの先生にソルフェージュを習わなきゃいけなかったの。武蔵野(音大)のピアノ科に入るつもりで勉強してたから。で、ソルフェージュを教えてくださいって頼んだら、教えてやるからその代わりに男声合唱のクラブに入れと。僕はピアノが弾けるから、ピアノ伴奏者をさせようと思ってたんだね。3年間ピアノ伴奏ばっかりしてたね。
宍戸もともとピアノ科に進もうと思っていたのに、どこで作曲家になろうと思われたんですか?
荻久保高校生のとき。男声合唱を常に耳にして、学指揮になって指揮をして、男声合唱っていいなあ、と。
宍戸高校生の頃すでに曲を書かれて川越高校で演奏されたりしてますよね。自分でやってるうちに、こういうのを作る側に回りたいと思われたんですか?
荻久保うん、そうだね。で、書いて、その先生が「いい曲だから」っていうので演奏してくれて、それを聴いて僕は「作曲家にならねばならん」と。
佐藤作曲家としてのスタートは完全に男声合唱だったんですね。
土井川越高校には感謝しきれないですね(笑)
荻久保僕はやっぱり男声合唱が好きだね。
宍戸高校時代に男声合唱をやろうと思ったのはなにかきっかけがあったんですか?
荻久保ううん、それはもう偶然。川越高校に入って、そこの先生にソルフェージュを習わなきゃいけなかったの。武蔵野(音大)のピアノ科に入るつもりで勉強してたから。で、ソルフェージュを教えてくださいって頼んだら、教えてやるからその代わりに男声合唱のクラブに入れと。僕はピアノが弾けるから、ピアノ伴奏者をさせようと思ってたんだね。3年間ピアノ伴奏ばっかりしてたね。
宍戸もともとピアノ科に進もうと思っていたのに、どこで作曲家になろうと思われたんですか?
荻久保高校生のとき。男声合唱を常に耳にして、学指揮になって指揮をして、男声合唱っていいなあ、と。
宍戸高校生の頃すでに曲を書かれて川越高校で演奏されたりしてますよね。自分でやってるうちに、こういうのを作る側に回りたいと思われたんですか?
荻久保うん、そうだね。で、書いて、その先生が「いい曲だから」っていうので演奏してくれて、それを聴いて僕は「作曲家にならねばならん」と。
佐藤作曲家としてのスタートは完全に男声合唱だったんですね。
土井川越高校には感謝しきれないですね(笑)
◆「縄文の音」
土井先生がよくおっしゃる「縄文の音」、ということについて、何度かの対談などで語りつくされているかとは思いますが。ちなみに今日の練習では「縄文の音」がなった瞬間はありましたか?
荻久保まだ・・・だね。
土井これまでの早稲グリの演奏で「縄文の音」がなったことはありましたか?
荻久保うん、やっぱり『黙示録・縄文』の後半に出てくるコラール、ffで鐘がカーンと繰り返している中にヴォカリーズが響く、あの音は「縄文の響き」がしていたんじゃないかな。あとは、男声版の『縄文』。小林(研一郎)先生の男声版『縄文』は初演だったはずだよね。あれは良かったなあ。あれはすごい感動できる、今でもあの演奏っていうのはある種の美学、基本になっているかな。それを踏まえて今の僕はどうあるか、っていうくらいに。
佐藤「縄文の音」というのがどういうものか、というのをこれを見た人にも知ってもらいたいのですが、以前の対談のときは、なんとも説明できない、感じる人にしか感じられないとおっしゃっていましたね。・・・なんと言ったらいいんでしょう?
土井10年前の対談では、岩が風や海の波に打ちつけられて、ある瞬間美しいものが出来上がる、それがまさに「縄文」だと。そういう美しさ、計算されたものではない、弥生的なものではない・・・
荻久保なるほど・・・いやあ分かりづらいよ、全然分からないね(笑)やむにやまれず、そうなってしまったような・・・そうなのかなあ。岩がうがたれて、なんかの造形が出来てしまった、というのはなんか偶然性があるし。
土井宗(左近)先生の文章に、合唱とは何か、ということについて書いてらっしゃるんですが、楽譜は読めたほうがいいし、音程も狂わないほうがいい。でもそれらは礼儀作法や約束事でしかない。大切なことは、歌わない聴衆と合唱すること、その外にある夕映えや風、雲と合唱すること、もっと「はるかなものと合唱する」こと、とおっしゃっています。これも非常に縄文の音の発想に近いというか。
荻久保そうだね。僕はある言葉にメロディーやハーモニーをつけて、そこにハーモニーや音色が生まれるわけだよね、ピアノ伴奏があれば伴奏と一体となって響きが生まれる。その響きが、純粋に音響的なものじゃないところへ行くんだろうな。それは音楽的な、つまり声の美しさによる美しさとか、ハーモニーが完璧に合ったノンビブラートの純正調だとか、あるいはある程度ビブラートのついた明るいベル・カントの美しさとか、そういうんじゃないもの、だよね、僕が求めてんのは。
土井これは本当に言葉で説明し尽くすのは難しいですね。聞いていただくしかないというか。
荻久保うん、純粋に音響的じゃないものを求めてるんだろうな、僕は。音楽じゃないもので「音楽」を表現しようとしてるのかなあ。だからそれを伝えるためにはしょうがないから、バスに対して「もっとNoisyな音を出してくれ!」とか言うんだね。とにかく、そういうものを作りたいためには、何を言ってもいいと思ってる(笑) 「縄文」について具体的に伝えるのは難しいね。だから今日(練習で)話したような、絶壁があってそこに火を通して映る縄文土器の陰だとか、ねじれた上昇運動とか・・・でも伝わんないよね。 特に、この『縄文』の曲の中にも何箇所かそういう音が欲しい所はあるんだ。
宍戸先生は自作の曲を振られることも多いですが、それは楽譜に書ききれないことを伝えたいというか、表現したいから指揮をする欲求があるんでしょうか?
荻久保いや、純粋に指揮者としての欲求です。だから自作じゃないときでも同じアプローチをする。その作品の中に、僕の中の「縄文なる」何かがうわぁっと呼び覚まされた時には、その作品をそういうアプローチで見るわけ。だから僕の振るフォーレの『レクイエム』の「Libera me」のユニゾンなんかは、他の指揮者とは全然違う音がする。
佐藤それは作曲家としての視点ではなく指揮者としての視点ですよね。作曲家として曲をいじろう、とか思っているわけではないんですよね。
荻久保うん、そういうわけじゃない。演奏における「縄文」的なものが僕に指揮をさせる。したがって僕はさ、結果的に自作が多くなるけれど、振りたい曲は決まってるから、当然振りたくない曲は振らない。この曲を振ってください、って指揮者としての依頼が来ても、何にも自分の中にやりたいという欲求が起きてこなければやらない。プロフェッショナルな指揮者はどんな依頼でもこなせなきゃいけないわけだ。僕はそうでもない。自分の中に呼び覚まされるものがない曲は振らないんだ。
佐藤ストイックというよりはむしろ演奏家としてはあるべき姿かもしれませんね。自分の中になにも生まれなければ演奏にも何も生まれないと思うんです。
荻久保だいたい指揮者がプロだから何でもやります、っていう方が間違ってるんだよ。それでなんでもやりますっていって、自分の中に湧き上がるものがないのにやったら、絶対つまんないよ。
佐藤早稲田がたびたび先生を指揮者として呼ぶというのは、そういうものを期待してる部分があるんだと思います。荻久保先生にしか引き出せないものがある、という意識もありますし、過去の演奏なんかでそういうのを感じ取っている部分があるから繋がっていくのかな、という気もします。
荻久保是非自作じゃない曲でやってみたいよね。
一同おぉ!
佐藤先生が自作以外で振ってみたいという男声合唱曲はありますか?
荻久保う〜ん、男声はなかなか少ないんだよな・・・過去に何やったかな?だいたい易しいのやってるね。新実(徳英)さんの『白いうた青いうた』の中の何曲とか、『幼年連祷』もやったね。西村(朗)くんの曲は僕は出来ると思うな、女声合唱のやつ。あとはやっぱり僕はレクイエムは多いな。フォーレ、モーツァルト、ヴェルディなんかは、僕の中でこうやってみたい!っていうのはとってもある。
佐藤では男声では意外に少ないと・・・
荻久保うん、残念だね。
荻久保まだ・・・だね。

荻久保うん、やっぱり『黙示録・縄文』の後半に出てくるコラール、ffで鐘がカーンと繰り返している中にヴォカリーズが響く、あの音は「縄文の響き」がしていたんじゃないかな。あとは、男声版の『縄文』。小林(研一郎)先生の男声版『縄文』は初演だったはずだよね。あれは良かったなあ。あれはすごい感動できる、今でもあの演奏っていうのはある種の美学、基本になっているかな。それを踏まえて今の僕はどうあるか、っていうくらいに。
佐藤「縄文の音」というのがどういうものか、というのをこれを見た人にも知ってもらいたいのですが、以前の対談のときは、なんとも説明できない、感じる人にしか感じられないとおっしゃっていましたね。・・・なんと言ったらいいんでしょう?
土井10年前の対談では、岩が風や海の波に打ちつけられて、ある瞬間美しいものが出来上がる、それがまさに「縄文」だと。そういう美しさ、計算されたものではない、弥生的なものではない・・・
荻久保なるほど・・・いやあ分かりづらいよ、全然分からないね(笑)やむにやまれず、そうなってしまったような・・・そうなのかなあ。岩がうがたれて、なんかの造形が出来てしまった、というのはなんか偶然性があるし。
土井宗(左近)先生の文章に、合唱とは何か、ということについて書いてらっしゃるんですが、楽譜は読めたほうがいいし、音程も狂わないほうがいい。でもそれらは礼儀作法や約束事でしかない。大切なことは、歌わない聴衆と合唱すること、その外にある夕映えや風、雲と合唱すること、もっと「はるかなものと合唱する」こと、とおっしゃっています。これも非常に縄文の音の発想に近いというか。
荻久保そうだね。僕はある言葉にメロディーやハーモニーをつけて、そこにハーモニーや音色が生まれるわけだよね、ピアノ伴奏があれば伴奏と一体となって響きが生まれる。その響きが、純粋に音響的なものじゃないところへ行くんだろうな。それは音楽的な、つまり声の美しさによる美しさとか、ハーモニーが完璧に合ったノンビブラートの純正調だとか、あるいはある程度ビブラートのついた明るいベル・カントの美しさとか、そういうんじゃないもの、だよね、僕が求めてんのは。
土井これは本当に言葉で説明し尽くすのは難しいですね。聞いていただくしかないというか。
荻久保うん、純粋に音響的じゃないものを求めてるんだろうな、僕は。音楽じゃないもので「音楽」を表現しようとしてるのかなあ。だからそれを伝えるためにはしょうがないから、バスに対して「もっとNoisyな音を出してくれ!」とか言うんだね。とにかく、そういうものを作りたいためには、何を言ってもいいと思ってる(笑) 「縄文」について具体的に伝えるのは難しいね。だから今日(練習で)話したような、絶壁があってそこに火を通して映る縄文土器の陰だとか、ねじれた上昇運動とか・・・でも伝わんないよね。 特に、この『縄文』の曲の中にも何箇所かそういう音が欲しい所はあるんだ。
宍戸先生は自作の曲を振られることも多いですが、それは楽譜に書ききれないことを伝えたいというか、表現したいから指揮をする欲求があるんでしょうか?
荻久保いや、純粋に指揮者としての欲求です。だから自作じゃないときでも同じアプローチをする。その作品の中に、僕の中の「縄文なる」何かがうわぁっと呼び覚まされた時には、その作品をそういうアプローチで見るわけ。だから僕の振るフォーレの『レクイエム』の「Libera me」のユニゾンなんかは、他の指揮者とは全然違う音がする。
佐藤それは作曲家としての視点ではなく指揮者としての視点ですよね。作曲家として曲をいじろう、とか思っているわけではないんですよね。
荻久保うん、そういうわけじゃない。演奏における「縄文」的なものが僕に指揮をさせる。したがって僕はさ、結果的に自作が多くなるけれど、振りたい曲は決まってるから、当然振りたくない曲は振らない。この曲を振ってください、って指揮者としての依頼が来ても、何にも自分の中にやりたいという欲求が起きてこなければやらない。プロフェッショナルな指揮者はどんな依頼でもこなせなきゃいけないわけだ。僕はそうでもない。自分の中に呼び覚まされるものがない曲は振らないんだ。
佐藤ストイックというよりはむしろ演奏家としてはあるべき姿かもしれませんね。自分の中になにも生まれなければ演奏にも何も生まれないと思うんです。
荻久保だいたい指揮者がプロだから何でもやります、っていう方が間違ってるんだよ。それでなんでもやりますっていって、自分の中に湧き上がるものがないのにやったら、絶対つまんないよ。
佐藤早稲田がたびたび先生を指揮者として呼ぶというのは、そういうものを期待してる部分があるんだと思います。荻久保先生にしか引き出せないものがある、という意識もありますし、過去の演奏なんかでそういうのを感じ取っている部分があるから繋がっていくのかな、という気もします。
荻久保是非自作じゃない曲でやってみたいよね。
一同おぉ!
佐藤先生が自作以外で振ってみたいという男声合唱曲はありますか?
荻久保う〜ん、男声はなかなか少ないんだよな・・・過去に何やったかな?だいたい易しいのやってるね。新実(徳英)さんの『白いうた青いうた』の中の何曲とか、『幼年連祷』もやったね。西村(朗)くんの曲は僕は出来ると思うな、女声合唱のやつ。あとはやっぱり僕はレクイエムは多いな。フォーレ、モーツァルト、ヴェルディなんかは、僕の中でこうやってみたい!っていうのはとってもある。
佐藤では男声では意外に少ないと・・・
荻久保うん、残念だね。
◆バスは絶滅危惧種?!
土井先生が早稲グリと最初に関わったのはピアニストとしてだったそうですが、おいくつの時だったんですか?
荻久保大学生のとき。芸大の学生のときに『枯木と太陽の歌』をやったのが最初じゃないかな。
土井三木稔先生のレクイエムは?
荻久保伴奏を、やったかな・・・?2台のピアノ版だったかな?
土井その後に『炎える母』があって、『縄文』の男声版、『季節へのまなざし』男声版など付き合いが続いて、今ではもう30年になりますか。
荻久保そう、30年くらいだね、きっと。25歳くらいの時から関わりがあったから。
土井今日見ていただいた通り、『炎える母』初演メンバーもあんなに年をとってしまって(笑)
荻久保ねえ(笑)
土井先生は早稲グリをかなり長く外部から、あるいは内部から見てきた存在だと思うんですが、なにか早稲グリが変わったと思うことはありましたか?
荻久保変わった点というか、さっきも話していたんだけど、キー(音域)が上がっている。本物のローバスがいなくなっている。たいてい何人かいるじゃない?そのかわりテノールがいくらでも出る。ヴォイストレーナーの人も同じことを言っていたなあ。テノールが出るやつが多くて、低い声が出るやつが減っている。たぶん、世界的な傾向じゃないかと僕は思っているんだけど。男声のキーは上がっている。反対に、女声のキーは下がっている。女声合唱団はアルトが強い。
佐藤興味深い話ですね。
荻久保だから「中性化」してきてる。
佐藤先生が練習で「鳴らないベースはいらない!」とおっしゃってましたが(笑)
土井合唱団としてもベース不足は悩みの種というか・・・
荻久保僕の合唱団の人もそう言ってるみたい。
土井ヴォイストレーニングでどうなるものでもないですしね。
荻久保そう、本来的に低い声を持ってないと。だから声帯が変わってきてるんじゃないかな、世界的に。高い声が出やすい声帯に男はなり、女は低い声が出やすくなる。ソプラノのすごい声帯は少なくなってるね。もう、ますます僕の考えるとおり、人類は滅亡に近づいてる。(笑)
一同(笑)
宍戸合唱の人に限らず、音大の声楽科とかでもそういう傾向はあるんでしょうか?
荻久保そこはちょっとわかんない。まだ音楽大学に行けば、さすがにソプラノのほうが多い。でも最近世界的にメゾソプラノにいいのがいない?最初ソプラノだったのにメゾになったとか。ローバスはもう絶滅危惧種だよね。
土井保護の方法は無いですよね(笑)
荻久保いやあ、あれだよ、ローバスのすごいやつとアルトを結婚させるしかない(笑)遺伝子操作だね。
一同(笑)
土井ローバスの人に子供たくさん生んでもらって、政治の力で何とか育児費用とかを出してもらうとか。
荻久保だから今度の首相にはなんとかして「ローバス保護法」を(笑)
土井合唱やっていてバスがいないと、大変だし面白くないしというのがありますね。
荻久保相対的に響きは軽くなるよね。重厚ではなくなる。だから、今日ぐらいオールドエイジの人が入ってると、『縄文』の終楽章の途中のF mollが鳴ったあとのベースなんかは、地の底から沸いてくるような、うわぁっというね。あれはなかなか若い人には出ない。
土井音楽的にはそういうことですが、気質的な部分はどうですか?
荻久保気質的な部分は、昔から変わらず、今もあの誠意のない拍手で迎えてくれるよ(笑)
一同(笑)
荻久保違和感はないねえ。30年前と。
土井昔から我々の先輩はああだったんですか?
荻久保誠意のない拍手とね、あの間髪入れず「ハイ!」というでかい声ね(笑)僕がなんか注文すると「ハイッ!」と、うるさいんだよ、それが(笑)「そんないちいちデカい声でハイって言わなくてもよろしい!」「ハイッ!」てね。あれは笑ったよ、僕は。まあ、期待して言ったんだけどね(笑)君たちだったら言うだろうなと。
荻久保大学生のとき。芸大の学生のときに『枯木と太陽の歌』をやったのが最初じゃないかな。
土井三木稔先生のレクイエムは?
荻久保伴奏を、やったかな・・・?2台のピアノ版だったかな?
土井その後に『炎える母』があって、『縄文』の男声版、『季節へのまなざし』男声版など付き合いが続いて、今ではもう30年になりますか。
荻久保そう、30年くらいだね、きっと。25歳くらいの時から関わりがあったから。
土井今日見ていただいた通り、『炎える母』初演メンバーもあんなに年をとってしまって(笑)
荻久保ねえ(笑)
土井先生は早稲グリをかなり長く外部から、あるいは内部から見てきた存在だと思うんですが、なにか早稲グリが変わったと思うことはありましたか?
荻久保変わった点というか、さっきも話していたんだけど、キー(音域)が上がっている。本物のローバスがいなくなっている。たいてい何人かいるじゃない?そのかわりテノールがいくらでも出る。ヴォイストレーナーの人も同じことを言っていたなあ。テノールが出るやつが多くて、低い声が出るやつが減っている。たぶん、世界的な傾向じゃないかと僕は思っているんだけど。男声のキーは上がっている。反対に、女声のキーは下がっている。女声合唱団はアルトが強い。
佐藤興味深い話ですね。
荻久保だから「中性化」してきてる。
佐藤先生が練習で「鳴らないベースはいらない!」とおっしゃってましたが(笑)
土井合唱団としてもベース不足は悩みの種というか・・・
荻久保僕の合唱団の人もそう言ってるみたい。
土井ヴォイストレーニングでどうなるものでもないですしね。
荻久保そう、本来的に低い声を持ってないと。だから声帯が変わってきてるんじゃないかな、世界的に。高い声が出やすい声帯に男はなり、女は低い声が出やすくなる。ソプラノのすごい声帯は少なくなってるね。もう、ますます僕の考えるとおり、人類は滅亡に近づいてる。(笑)
一同(笑)
宍戸合唱の人に限らず、音大の声楽科とかでもそういう傾向はあるんでしょうか?
荻久保そこはちょっとわかんない。まだ音楽大学に行けば、さすがにソプラノのほうが多い。でも最近世界的にメゾソプラノにいいのがいない?最初ソプラノだったのにメゾになったとか。ローバスはもう絶滅危惧種だよね。
土井保護の方法は無いですよね(笑)
荻久保いやあ、あれだよ、ローバスのすごいやつとアルトを結婚させるしかない(笑)遺伝子操作だね。
一同(笑)
土井ローバスの人に子供たくさん生んでもらって、政治の力で何とか育児費用とかを出してもらうとか。
荻久保だから今度の首相にはなんとかして「ローバス保護法」を(笑)
土井合唱やっていてバスがいないと、大変だし面白くないしというのがありますね。
荻久保相対的に響きは軽くなるよね。重厚ではなくなる。だから、今日ぐらいオールドエイジの人が入ってると、『縄文』の終楽章の途中のF mollが鳴ったあとのベースなんかは、地の底から沸いてくるような、うわぁっというね。あれはなかなか若い人には出ない。
土井音楽的にはそういうことですが、気質的な部分はどうですか?
荻久保気質的な部分は、昔から変わらず、今もあの誠意のない拍手で迎えてくれるよ(笑)
一同(笑)
荻久保違和感はないねえ。30年前と。
土井昔から我々の先輩はああだったんですか?
荻久保誠意のない拍手とね、あの間髪入れず「ハイ!」というでかい声ね(笑)僕がなんか注文すると「ハイッ!」と、うるさいんだよ、それが(笑)「そんないちいちデカい声でハイって言わなくてもよろしい!」「ハイッ!」てね。あれは笑ったよ、僕は。まあ、期待して言ったんだけどね(笑)君たちだったら言うだろうなと。
